びあぶれいく
Orion
奄美世から按司世、那覇世、大和世と時代に翻弄されながらも逞しく生きてきたアマミンチューの復帰50年の歩みを沖縄との関わりを交えながら語っていただいた。
地域振興を通して見えてくる奄美半世紀の光と影
「私の専門は地域振興事業でその立場から奄美の振興と沖縄との事業振興に携わってきた。奄美の悲願であった奄美空港建設で奔走した事も感慨深い。糸満や伊是名島から伝わった追い込み漁など昔から沖縄と奄美の漁業は深い関係にあるがモズクの養殖は奄美が早く、昭和四十八年頃から奄美から沖縄にモズク養殖の技術指導を行なった」「奄美は現在でも漁業が盛んで沖縄で店頭に並ぶグルクンなど近海魚は奄美産が多く流通しています。漁連や地域振興の仕事を通じて沖縄の島々を回って沢山の人と交流してきた。沖縄から色んな事を学んだ、逆に奄美から教える事もあった、いわばギブアンドテイクの関係だった。これから、若い人達が沖縄との新たな交流を作ってほしいですね」
沖縄の復帰前、沖縄行くのに一ヶ月以上かかったよ
朝男さんの妻キヨさんのオジー戦前、伊是名から糸満売りを経て奄美に渡り壮絶な苦労をしながら奄美で一番最初に漁業権を得た偉人。その後も九州・韓国近海の漁業権を得て最盛期には漁船二十隻をたばねる奄美一の網元となった。戦後のドサクサでそれら総てを失った。
51年前、前川さん夫婦は伊是名から奄美に渡りゼロから魚 の仲買人の仕事を始めた。「漁師は伊是名や沖縄出身が沢山いて沖縄出身だけの集落があった程。ただ沖縄がまだ復帰前だから渡航するのにパスポートやら検疫やらでとても難儀したよ」
二人三脚で働いて、現在は奄美で一番の鮮魚店と酒屋を息子らに継がせた。「墓も此処に作ったから、奄美は私達にとって生まれ島みたいになってるさ〜」
(写真左)奄美各地に伊是名島出身者が多く、伊是名郷友会があった。
(写真右)大切に保管している当時のパスポート。
写真と映像の活動を通して強く感じる事。
「本土復帰五十周年は奄美にとって大きな節目になると思いますよ。これまでは、本土並みを標榜し様々な振興整備を行って成果と歪みをもたらした。それは行政の画一化された鋳型に沿った開発だった。これからは、奄美の人が主体となって、ビジョンを描いて島づくりをやって行かないといけないし、その事を皆で考えるいい機会ですよ。奄美の歴史、風土、文化を見つめ直して、奄美の未来像を描かないといけない。それは、他所との比較でなく、真の奄美らしさを創出していくことが大切。
豊かな自然があってこその奄美。これからは開発より保全に重きを置く。四十年余り、写真と映像の活動を通して強く感じる事」
■越間誠「奄美写真集」
発行/南方新社/2冊セット定価8,000円
奄美の美しい自然と歴史を網羅する珠玉の写真集!
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