一四七〇年に、第二尚家を創設した尚円金丸は、豊臣秀吉と同じように数奇な運命を背負って生まれた男である。金丸は、一四一五年、伊是名島諸見で誕生した。しかし、後に国王にまで登りつめる金丸の出自が定かではなく、また、第一尚家の祖、伊平屋島出身の鮫川大主の出自も、ともに空白にされているのは琉球歴史上の謎と言える。
金丸の出自にまつわる伝説は、捨て子説、また奥間から漂流した赤子説、義本王末裔説等があるが、本人にとって記録するのに都合の悪い出自だったかも知れない。むしろ、本土から伊是名に渡来してきた落ち武者、または浪人の血を引いた可能性も残されている。
ともあれ、金丸は二四才のおり、妻と弟を連れ、伊是名を脱出し宜名真へと渡る。さらにそこも石もて追われ、越来城に配されていた後の尚泰久の下に身を落ち着ける。
追われる原因は、いずれも地元との確執である。伊是名島では水盗人の嫌疑をかけられリンチにあう寸前に脱出する。宜名真でも地元の青年達のリンチにあう前に奥間の鍛冶屋に助けられ、村を飛び出す羽目となる。
地域にとけ込めない突出した金丸の才能と容姿が地元の娘達の人望を独占し、それに対する青年達の妬みが金丸排斥の要因と伝えられる。美貌、色白といった、現代のアイドルにも匹敵する魅力的要素、またはウチナーンチュにはない容貌を金丸が有していたとも考えられる。
また、戦国の風がまだ吹き止まない殺伐とした時代、各地を追われた一介の農夫でしかない金丸が、基盤も持たず、強力なコネもなく第一尚家の王族である越来王子に目をかけられるのも解せない。やはり、そこには金丸の持つ特殊な才能が
要因だったと思わざるを得ない。例えば、日本語を操る、日本文字が読める、数字に明るいという才能や技能、持って生まれた大和文化の影が浮かび上がる。
後に王業を遂げるほどの才を持つ金丸にしては伊是名を出奔する二四才はまだ若い。むしろ島を統一してから本島に渡っても間に合う年代である。金丸が伊是名島を統一平定できなかった理由としても、異分子の扱いを受けていた金丸の環境が浮かび上がってくる。
村人と異質の要素を持つ金丸は、村落から離れた場所に住み、村人とコミュニケーションの取りにくい、村八分的存在でもあった。
そのために、語り合う友も無く、事を起こすために必要なスタッフの確保が不可能であったことが想像できる。
青雲の志を抱く金丸は、天下に飛び出す好機来たれりとばかりに、伊是名島を後にしたと考えられる。
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