びあぶれいく
Orion
沖縄のヒーロー&ヒロイン
 察度は、1321年、浦添間切りで生を受け1395年、七五才で世を去るが、当時としては、人生五十年の時代、希にみる長寿者であったといえる。
 それまで察度以前の琉球国は、浦添を中心とした歴代王統である舜天王統、英祖王統と、いずれも神話伝説に近い、歴史を有していた。
 察度は、口承伝説の世界と決別した最初の王と記録されている。中国・明帝国の史書に最初に登場してくる琉球国人は、察度である。
琉球と言う国は、察度が1372年に明と締結した冊封制度によって、アジアの国際社会に、その姿を現すのである。
 聖徳太子は、日本と中国の相対関係で日本という国の体制づくりを実施し、中国、朝鮮国等と外交関係を確立した。国は、外交と内政という二本柱を創設して初めて対外的に国家として認められる。
 その意味では、察度は、歴代の琉球国王の中で、初めに、外交と内政に取り組み、その体制を確立した初めての王である。
 察度の誕生も、口承伝説の霧に包まれている。察度の母親は、天界から降りてきた天女であると伝えられている。察度の父親、奥間大親が、天女とともに暮らし、察度と妹が誕生した。
 長ずるに及んで、察度は能力を表し、勝連按司の娘をもらい受け、宜野湾で勢力を伸ばしていく。その背景には、察度が貿易で手に入れた黄金を鉄に換え、領民に農具を与えて人心を得ていく過程もある。
 浦とは、港を意味し、添えるとは支配することである。その意味では、ばく大な貿易の利権を生む浦添を支配する者が、琉球国の真の支配者であったと考えられる。
 実力者、察度は前、英祖王統より禅譲を受けて三〇才の時に、中山国王となる。中国では、この間に、漢民族の建てた明帝国が誕生し、琉球まで使いをやって冊封を勧める。
 察度は、この時期、すでに東南アジアと交易をしていたと見え、中国の情報もすでに入手していたと考えられる。
 察度は、小国・琉球の生き延びる国策として冊封を取り入れ、明国の使いに東南アジアからの輸入品、象牙、胡椒等を貢ぎ物として献上した。 
 察度は、足利幕府より約三〇年前に琉中貿易を開設し、中国の暦、陶器、磁器、等の最新文化を琉球に導入し、貿易国家を形成していくのである。
また、最初に朝鮮国と交易を開設するのも察度である。1392年には、中国人、久米三十六姓達を渡来させ、琉球王朝の貿易業務を委託させ、人材登用を実施する。察度は、以降、七〇〇年余の琉球王朝の経済基盤を創設した王である。
察度
察度 イラスト
亀島 靖プロフィール
1943年沖縄県那覇市生まれ。劇作家、プロデューサー。
主な著書に、「琉球歴史の謎とロマン1〜3」、琉球新報 新聞小説「三十六の鷹」、沖縄県広報誌「琉球歴史人物伝」、沖縄テレビ「沖縄の昔ばなし」原作、琉球放送「源為朝伝説を追え」脚本、CD「耳で聞く琉球歴史の謎とロマン」など。
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