びあぶれいく
Orion
上田真弓のオリオンいいたい放談 笑いあり、涙あり移住は辛く楽しいさ〜!?
今や、沖縄移住願望者のカリスマ、そしてオバーおよび、ウチナーンチュウォッチャー 第一人者として、その名を馳せる仲村清司さん。沖縄本を全国でブレイクさせた張本人が、オキナワン2世としての深〜き苦悩を上田真弓に告白した!?
サブタイトル1
仲村 いや〜、参りました。実は徹夜明けなんですよ、すごい顔になってるでしょ。
真弓 どうしたんですか?
仲村 本の〆切がニ本重なりましてね。
真弓 じゃあ、ビール飲んだらひっくり返るかもしれないですね。
仲村 いやいや、これはごほうびということで(笑)。
真弓 じゃあ、とりあえず乾杯といきますか。カンパ〜イ。
仲村 うまい!…ビール大好きなんですよ、生きかえりましたよ。
真弓 その忙しさの元となっている本ですが売れまくっていますよね、本を書き始めてからどれくらいになります。
仲村 移住して七年になるから本を書き始めてから五年半から六年になりますね。「好きになっちゃった沖縄」「沖縄オバー烈伝」「爆笑沖縄移住計画」と続いていくんですが、うまく沖縄ブームと重なったという感じですね。
真弓 有名人の移住があったり、ちゅらさんがブームになったりして、急激に沖縄が注目を浴びるようになりましたからね。
仲村 そう、その頃はまだ、移住という言葉はあまり使われていませんでしたよ。でも、引越じゃ合わない、沖縄に行くっていうのは大変なことで、仕事、生活をひっくるめてリセットって感じですからね。大げさという人もいるけど、そのくらいの覚悟ですよ。
真弓 私なんかは大学で来てるから、あまり何も気づかいないままズルズル住んじゃったっていう部分もありますね。だから沖縄的なのかそうでないのか自分でもよくわからない。例えば、ずっと内地で育ったウチナーンチュと、青春時代をずっとここで過ごした私とではどちらが沖縄に近いんでしょうかね。私、ここニ〜三年ロストアイデンティティーって感じなんですよ。
仲村 アイデンティティーってとこでいうと、僕は大阪で育ったんですが、当時は差別があって両親は沖縄だってことを隠していたんですよ。年頃になって自分が何者かがわかった時、大和の人間にも沖縄の人間にもなれなくてずっとモヤモヤして悩んでましたね。
真弓 隠されていたことがわかったのはいつ頃なんですか。
仲村 小学校の高学年の頃、それまでもうすうすは感じていました。うちは本家で、沖縄から親せき連中が仏壇を拝みに来るんですけど、その人たちが真っ黒でごっつい顔をして、サングラスをかけてるんですよ、その頃、日本人でサングラスかけてる人はいなかったし、おみやげはハーシーのチョコだし、オバーはハジチ(入れ墨)を入れてタバコを吸っているし、母親に仲村家は変だということで迫ったりもしたんですけど、実はハワイ出身なんだよ(笑)と嘘をつかれたりで、ある時、荷札を見て沖縄と書いてあって、本当のことを知ったというわけなんですよ。
放談風景
お互いのアイデンティティーの行方をうちなー料理とビールを楽しみつつ熱く語る2人。

2冊の本の執筆を終え、お疲れの仲村さん。「移住してきたら忙しくて沖縄で遊べなくなっちゃった」とぼやきしきり。

 

仲村 清司さん

サブタイトル2
真弓 七年前まで沖縄に来ようとは思ってなかったんですか。
仲村 いや、予感はしてました。実はうちの女房が重度の沖縄病で、三線はやるわ、琉舞はやるわで、とうとう「沖縄に移住しないんだったら離婚する」と言われて、それは勘弁ということで移住してきたんです(笑)。
真弓 でも、それってスゴイ縁ですね、沖縄のことが大好きな奥さんと、沖縄の事で悩み続けてきた仲村さんとが出会うなんて。
仲村 そうね、あまくまの神がうまく出会うようにして、沖縄に帰って何かせい、と仕組まれているのかと思いますね。
真弓 あたし何も仕組まれてないんですけど(笑)…。では最後に沖縄移住希望者にアドバイスを。
仲村 まずは「思いとどまれ!」って(笑)。


写真

仲村 清司 PROFILE

1958年大阪生まれのウチナーンチュ2世(両親は沖縄出身)。1996年沖縄に移住、現在なんくるプロ主宰、作家、著書に「爆笑沖縄移住計画」「爆笑沖縄凸凹夫婦(夏目書房)「沖縄大衆食堂」(二葉社)、共著に「沖縄オバー烈伝」(二葉社)「アジア大バザール」(講談社文庫)他多数。


うちなー料理いろは庭うちなー料理いろは庭

 

うちなー料理いろは庭
首里の石畳にほど近い沖縄料理店。赤瓦屋根の家屋と料理の味わいにホッ。
TEL.098-885-3666

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