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劇作家 / 亀島 靖
イラスト / 宮城 厚 |
14世紀の後半、宮古島に戦乱の火の手をあおる集団が登場する。現在の平良市の東を根拠地にする与那覇原軍と呼ばれる集団である。首領の佐多大人に率いられたこの軍団は、1,000名もの兵で構成されていたと伝わる。
進軍する途中の城や、各集落を攻撃し島民を惨殺する凶暴な与那覇原軍は、一時、宮古全域を占領下に置く勢いであった。農耕の担い手である農民を殺害するところを見ると、島外の集団とも考えられる。
与那覇原軍団を制圧するのが、仲宗根豊見親の祖先に当たる、目黒盛豊見親である。目黒盛は、機略を用いて与那覇原軍を壊滅状態に陥れ、宮古島から一掃してしまう。
しかし、与那覇原の残党は沖縄本島に脱出し、時の中山王察度から宮古の首長の職を拝命する。ここ宮古島に目黒盛豊見親と与那覇勢頭豊見親という二大派閥が成立するのである。
この対立する二大勢力を一つにまとめ、宮古を平定するのが仲宗根豊見親である。目黒盛豊見親の5代目(玄孫)として誕生した仲宗根豊見親は、幼少の頃から周囲の耳目を集める存在であった。
長じると、仲宗根は対立する与那覇勢頭豊見親側派の有力者、大立大殿に才能を見いだされ、実力を発揮していく。大立大殿の長子・能知伝盛大親が病死すると、人々の期待は仲宗根に集中していった。仲宗根は、期待通り政治力を発揮し、島内の拡散している勢力を集中していったのである。
1474年、18才の時、首里に上がった仲宗根は、第二尚王統の創設者、尚円王から宮古島の首長を拝命し、宮古島に帰還する。その結果、ついに仲宗根豊見親空広は目黒盛派と与那覇勢頭派という二大勢力をまとめ、宮古島を統一する事業を成し遂げる。
1500年、仲宗根豊見親の能力を試されるような大事件、八重山「オヤケアカハチの乱」が発生した。仲宗根は、八重山討伐軍の王府の先陣をつとめる決断を下した。それは、先島諸島が強大な首里王府の傘下に入って、争乱の根を絶ち、平和な琉球国の一翼をになうという、仲宗根豊見親の選択だったとも考えられる。
1522年、与那国島の鬼虎の乱を平定した仲宗根豊見親は、先島の支配者として各事業に着手する。首里王府と直結する蔵元を創設し、行政の拠点づくりを行った。
行政、税制などを整備した仲宗根豊見親は、さらに当時としては例を見ないといわれる下地橋道の大土木工事を完成させる。また、尚真王に名刀・治金丸を献上し、後世の歴史書には宮古島を代表する歴史上の英傑として記録されている。 |
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亀島 靖プロフィール |
1943年沖縄県那覇市生まれ。劇作家、プロデューサー。
主な著書に、「琉球歴史の謎とロマン1〜3」、琉球新報 新聞小説「三十六の鷹」、沖縄県広報誌「琉球歴史人物伝」、沖縄テレビ「沖縄の昔ばなし」原作、琉球放送「源為朝伝説を追え」脚本、CD「耳で聞く琉球歴史の謎とロマン」など。 |
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