びあぶれいく
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巻頭インタビュー写真

負けず嫌いがボクシング魂に火をつけた。
2002年5月に東洋太平洋スーパーバンタム級チャンピオンとなり、10月には初防衛、そして世界を狙いヒートアップするファイター仲里繁の熱い胸のうちを聞いた。

PROFILE

1973年生まれ、宜野湾市出身。 沖縄ワールドリングジム所属、23歳でボクシングを始め、わずか6ヶ月後にはプロテスト合格、ガチンコを地でいく強者。2002年5月19日東洋太平洋Sバンタム級新王者に輝く。同年10月12日沖縄コンベンションセンターで初防衛に成功。

巻頭質問1
仲里 ボクシングとの出会いは遅くて、23才になる一ヶ月前から始めたんですよ。高校生の時にはバイク一筋で、バイクのことばかり考えていましたからね。それで、高校を卒業して普通に就職したんですけど、何か、いつも物足りなさを感じていたんですよ。大人になるにしたがって、仕事して夜は酒飲みに出掛けて、そんなことの繰り返しみたいで……。そりゃ、行ったら行ったで盛り上がって楽しいよ(笑)、でも、それだけじゃイヤだった。パワーがあり余っていたんですよね。
そんな時に、後輩にボクシングやってる奴がいて、連れてってくれって頼んで始めることになったんだよね、そしたら、もう負けず嫌いに火がついちゃって、のめり込んでしまったというわけなんです。。
巻頭質問2
仲里 ほとんどなかった。親父が見ていた具志堅用高さんの試合とか、平仲さんの試合とかを横で何となく見ていただけだから。だってさ、フックとか、アッパーとかもボクシング始めるまでわからなかったんですよ(笑)。
巻頭質問3
仲里 そんな気持ち全然なかったんですけど、「今度試合があるけど、やるか」って言われて、やり続けていたらプロになっていたって感じですよ。ある日、行ってみるとタイトルマッチで、結構お客さんも入っていて、「アレッ、こんなに人がいるところで俺一人上半身裸かよ」って思ったくらいですからね(笑)。ボクシングの専門誌に載ったりした時も、俺ってこんなところに載るんだと感心したりね。とにかく、目の前の課題をこなすのに精一杯で、あまりいろんなことを考えたり気負ったりすることはなかったですよ。
巻頭質問4
仲里 ありますよ。特に減量している時はよく思いましたよ。今はちょっとお休みをもらっていますが、ずっと材木店で働いていたんで、食べずに仕事して、ボクシングをするのは、とてもキツかったですね。もう食べ物のことしか考えられないし、こんなんで勝てるのか?俺に未来はあるのか?ってどんどん不安になっていくんですよ。家族もいるし、安定した職に就いた方がいいんじゃないかとか。もう考え出すとキリがない。それと負けた時もね、とっても落ち込むタイプなんですよ。でも、勝つと、また明日も試合したいと思うんだよね(笑)。すごい達成感があるから、辞められないのかもしれない。人生を賭けたギャンブルみたいなもんですね。
巻頭質問5
仲里 鼻は何度も折ってるし、目も切ったし、スパーリングで、メチャメチャやられて、アゴは痛いし、口は開かないしでごはんが食べられなかったりとか。試合の翌日は、普通に仕事に行かなくっちゃいけないんですけど、目がはれたボコボコの顔で行くこともありましたね。ボクシングにケガはつきものですね。
巻頭質問6
仲里 始めるのが遅かったので全然気にしてないです。30代のチャンピオンもいっぱいいるしね。まだまだ身体も動くし、今はね、とにかく世界を狙ってるんで燃えてるんですよ。早く試合がしたいです。この気持ちが燃え尽きないうちに。
巻頭質問7
仲里 日本でいえば、辰吉丈一郎さんとか、輪島功一さん。あの不屈の闘志がたまらないですね。打たれても打たれても立ち向かっていく、その姿がカッコイイと思いますね。外国でいえば、もう他界してしまったけれども、フェザー級のメキシコ人で、サルバドールサンチェスが、僕のヒーローですね。早く、そんな人たちに追いつき追い越したいと思います。
巻頭質問8
仲里 ぜんぜんないですよ。あくまでも狙っているのは世界。東洋チャンピオンといってもボクシングだけじゃ食っていけない、甘くないですよ。この世界は。ボクシングだけで食べテクなら世界タイトルを取らないとね。だから、どうしても取りたいです。
グローブなわとび風景
宜野湾市伊佐の沖縄ワールドリングジムには、仲里さんをはじめ有望な選手が揃う。基地のそばだけにアメリカ人の練習生も。
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